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【「比較」の元になる価値観を疑ってみる】

人生が始まって、幼い頃からずっと・・

私たちは「比較」の世界で生きています。

 

テストの点数、成績、身長、徒競走、受験、スポーツ・・・などなど。

大人になってからは、さらに「比較」は増していきます。

上司からの評価、営業成績、勤務態度、同僚の目、部下からの評判・・

 

書き出すとキリがないくらいですね。

 

「比較」されて、優位に立てば上機嫌になり、

そうじゃなければ落ち込んでしまう。

日常がそんなことばかりの人もいるかもしれません。

 

そんな時は、

「比較」の前の「価値観」を疑ってみてください。

本当にそれでいいのか?本当に?って。

 

例えば、子供の頃の徒競走で、一番になれば褒められ、

最下位だと同情の目で見られたとします。

その「比較」の元になるのは、

「足が速い」=優秀、素敵なこと

だという「価値観」です。

 

でも、それは絶対的なものなんでしょうか?

時と場合によって変わったりするかもしれません。

足が遅いからこそ、周りの状態が速い子より見えるかもしれませんし、

いろんな弱いと思われている子たちの気持ちがわかるかもしれません。

 

その「比較」や「評価」というのは、一面だけを見たものにすぎません。

人前にうまく話せる人=優秀で素晴らしいこと

人前ではうまく話せない人=あんまり良くないこと

という「比較」があったとして、

人前ではうまく話せないけど、人の話しはゆっくり聞ける人かもしれません。

 

そこにはただ「個性」があるだけです。

全く同じ顔や姿の人がいないように、

全く同じ特性で性格の人もいません。

人それぞれなんですね。

 

だから、比較しようがないのです。

「比較」の世界で辛い思いをすることがあったら、

その「比較」の元になっている「価値観」がなんなのか?

冷静に考えてみて、一度、その「価値観」を疑ってみてください。

 

また違った形で見えるかもしれませんよ。

 

もし、一人で考えてみても辛さが続くようであれば、

いつでもご相談くださいね。

 

比較」されて辛い方はこちら

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