「それってきれいごとだよね」
「ただの理想論に過ぎないよ」
たまに、そんなセリフを聞くことがあります。
そのセリフの前提は、
「きれいごとではやっていけない」
「きれいごとは机上の空論」
「きれいごとは偽善者が言うこと」
「理想論を語っても現実的ではない」
「理想なんか実現できるわけがない」
「理想論を語る暇があったら仕事しろ」
だいたい、こんなところだと思います。
否定しません。
それどころか、仰る通りです。
ただ、違う側面もあるのも事実です。
「きれいごとがたまに実現する時もある」
「きれいごとがアートや映画やドラマになる」
「成功者や有名人でも、案外、きれいごとを語っている」
「理想から全てはスタートしている」
「さまざまなものは理想論がきっかけでできている」
「仕事も最初は理想論から始まっている」
これからは、今まで「個人」ではできなかったものが、
テクノロジーの発展によって、できることも多くなっています。
これからは、今まで「実現」できなかったものが、
デジタルの進化によって、実現できることが多くなっています。
なら、
「キレイゴト」だけで生きていく人がいてもいいのではないでしょうか?
「キレイゴト」だけでは生きていけない!
って主張する人がいてもいい。
でも、「キレイゴト」だけで生きていこうとする人がいてもいい。
子供のように、ただただ純粋な目で見て、純粋な心で受け止めて、
キレイゴトだけで生きていく人が増えていってもいいと、
心から思います。
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